Before Cyberspace Falls Down...

"Atoms for peace and atoms for war are Siamese twins” Hannes Alfven

もう秋だけど、いまだ悩み多い毎日

研究がおもっていたよりも苦しい。もちろん簡単でないことはわかってたが、正直日々感じる焦りと苛立ちと引け目は予想よりも高い波になって襲ってくる。

苦しさの原因を整理して、この苦しさから開放される方法をさぐりたい。

自覚できる苦しさの原因は以下のとおりだ。

研究に手応えがない

研究の対象が大きくて持て余している。全体を捉えるには部分を一つ一つ丹念に調べていかないといけない。全体は単なる塊ではない。一見塊に見えて近くでよく見ると100万本の絡み合って塊になったものだった。その絡んだ糸を解きほぐして、糸の一本一本の色と長さを調べていくのが今している作業だ。

これに終わりがあるのか?全体を捉えるというおおきな目標に一歩づつでもいいので近寄っているのか確信がもてない。

ベテランの研究者なら素材をもう少し扱いやすく細分化できるのではないかと思うが、私にその技巧はない。

研究テーマを共有出来る人がすくない

研究テーマについて話せる人が少ない。博士の研究だから内容としてはマニアックなものにならざるをえない。新しく発売されたスマートフォンのような多くの人が興味をもってくれる話ではない。そうすると自分の研究内容を人に話すのがなんとなく憚られてくる。そして意識が内面に篭っていく。

週末に発見したことを雑談で話せるような先生・同僚・後輩がいる気が紛れてよいが。

社会人院生の生態自体が周囲に理解されるものではない

忙しいこと、面倒なことは会社の業務でもある。その場合、上司や同僚はなんとなくはこちらが忙しいことをわかって気を使ってくれる。ところが研究はあくまで孤独な作業である。 週末を潰して学会にいったのも、大枚はたいて海外学会にいくのも自分が勝手にしていることである。 研究で疲れ果てた月曜日には、どっさりと仕事がまっている。

遊ぶ時間がない

頭を切り替えて、体を休める時間をつくる方法がまだわかっていない。これは結構致命的。

結局平日は仕事があるから、ほとんど研究できない。だから土日を研究に費やしている。土日は大学図書館、開いてなければ会社に通う。今の作業はインターネット接続と文献へのアクセスが重要なのでカフェではなかなかすすまない。休日の朝から大学図書館、学食でカレーをたべる、午後も図書館で夕方帰宅というサイクルを繰り返す。

同僚から仕事帰りに一杯のお誘い、後輩の結婚式、友達から休日に出かけようというお誘いは断らざるを得ない。心苦しいし、寂しい。

その日々のどこでリフレッシュすればいいというのか。

同年代の周囲の人との比較で惨めに感じる

週末にFacebookをひらくと家族で遊びにいったとか、ツーリングにいったとか、ゴルフでいいスコアがでたとか、純粋に羨ましいとおもう。

NPOの仕事がはじまった

6月から始まったNPOの役員としての仕事が意外と時間を食う。それは仕事自体が大変というより心の切り替えの大変さによるとおもう。会社と大学とNPOの3つの仕事を並行で行うということは、3種類の名刺をもちあるき、3種類のメールアドレスをチェックして、3人以上の上司(あるいは指導教官)と連絡を取るということだ。自分がどの立場で何のために仕事をするかをそのたびに記憶から掘り起こす必要がある。

深夜早朝の仕事増加

前項に関連して、深夜早朝および日本の土日に開催される電話会議への参加が増え、これも体調をくずす原因となっている。

結局のところ…

長々と愚痴ってきてあれば 人生苦しい時が上り坂という言葉を信じて騙し騙しやるしかないのかな?

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今はまだ夜明け前。