Before Cyberspace Falls Down...

"Atoms for peace and atoms for war are Siamese twins” Hannes Alfven

土屋大洋 『サイバーセキュリティと国際政治』

本書はサイバーセキュリティを安全保障の一環となっている現実の上にたち、サイバー空間でのインテリジェンス活動、インテリジェンス機関の役割に正面から向き合うものである。

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概要:

2章から6章までで、スノーデンによる情報漏えい事件、米国と英国のインテリジェンス機関のサイバー分野での機能とそれを可能にする制度整備の状況、もはやサイバーと切り離すことが不可能な軍事作戦、国連をはじめとする主要な国際交渉の動きなどが丹念に解説されている。特に5章は筆者の過去の著作でも触れられることの少なかった、宇宙空間とサイバーセキュリティの関連性などについて書かれていて目新しい。

日本におけるサイバーセキュリティ対策が米英と比較して不十分であり、その差を埋めるには日本においてサイバーセキュリティ対策にインテリジェンス機関の活動を拡大することが不可欠であることを多面的に描きだす。 7章ではそれらの前提にたち、日本におけるインテリジェンス機関の機能拡大についていくつかの道筋が示されたうえで、課題が提示される。

感想:

読者に「ではどうすればよいのか?」と自問させる本である。

筆者の丹念な調査により、NSAとGCHQに類する機能を持つ日本のインテリジェンス機関が必要であることは理解できる。一方で日本においてその役割を担うのが既存のインテリジェンス機関なのか新設される組織になるべきか筆者は明らかにしていない。 日本のインテリジェンス機関がサイバーセキュリティ確保に(米英同様に)より大きな役割を果たすようになるために、筆者は「少なくとも」4つの課題があるとしている。どれも立法や憲法の解釈の変更などを伴う大きな課題である。

サイバーセキュリティのためのインテリジェンス強化は、民主的な議論を重ねた結果として、国民の代表による監視などの諸制度と合わせて実現されるべきとされている。それは理想的であり、多くの人がそうありたいと願う形である。 一方で読者は、筆者が本書前半で描くイギリスやアメリカの事例を通して、現在のインテリジェンス機関が理想とは大きくかけ離れたプロセスの産物であることを意識せざるを得ない。 イギリスにおいてはインテリジェンスの歴史が長く、国民の理解が進んでいることがすべての土壌となっている。NSAサーベイランス活動は平時に民主的な議論を経て充実したのではなく、9.11などの大規模な事件のたびに非常事態対応の一環として肥大してきた。クリアランスは議会が承認する法律ではなく大統領令によって規定され、内部告発制度の不備はスノーデン事件を生んだ遠因となっている。 陸の国境をもたず、軍隊の存在すらあいまいな日本において、果たしてアメリカやイギリスですら行われかった議論を行えるのだろうか。政治家は「毒」に例えられるインテリジェンスの必要性について国民に説明できるであろうか。

我々が日本においてNSAやGCHQに類する組織や機能を手にするのは、誰の目にも明らかなサイバー大惨事が発生し人命や財産が脅威にさらされた後にならざるを得ないのではないかという人もいる。しかしサイバーは見えない世界であり、首相公邸屋上で発見されたドローンのような誰の目にも明らかなリスクではない。

個人的に、1つのヒントは本書にある同盟国によるインテリジェンスの共有の重要性にある気がする。今や当たり前の米英の情報機関の協力は、第二次世界大戦、BRUSA協定(1946年)、新UKUSA協定(1956年)などを経て段階的に相互信頼を深めた結果なのだという。それならば法制などの整備の前に現場で協力できることを拡大した上で最後は「外圧」という道筋もあり得るのかもしれない。

いずれにせよ本書は2015年の日本人に突き付けられた問であり、これを契機に我々はもっとインテリジェンス機関について公開の議論をしなければならないし、容易に開示されることのない海外インテリジェンス機関についてより深い分析を行うだけの情報を得る必要があることを痛感した。

なお本書の装丁が素晴らしい。だが大学図書館で学生が手に取るときには、この不気味に美しい東京の写真のカバーは捨てられてしまっているのが残念である。