記録映画 太平洋横断ケーブル 1964年
Youtubeでたまたま発見。今のKDDIによる太平洋横断海底ケーブルの敷設プロジェクトの紹介。面白かった。映画では言及されていないがこの時代にはすでに太平洋を横断するケーブルがいくつか敷設されていたのでは? 大手町の機器は全て国産というあたりはさすがである。
背景
短波による国際通信は、各国に割り当てられた周波数帯が使い切られ、1962年に太平洋横断海底ケーブルの敷設プロジェクトが開始された。
敷設経路
サンフランシスコーハワイ間は既設のものを利用。ハワイーミッドウェーーウェークーグアムー日本というケーブルを敷設する 海上保安庁水路部が協力。海の深さは音響測深機で図る。海底の泥をいたるところで採取
陸揚げ
日本での陸揚げ局は相模湾二宮付近に設けられた。そこから東京都内のKDDターミナル局とは2つの回線で結ばれた。 一つはNTTのケーブルで東京ー小田原をつなぎ、小田原と二宮を接続するルート。もう一つはマイクロウェーブで東京ー多摩ー吉沢を結び吉沢と二宮を地下ケーブルでつなぐルート。 ターミナル局、クロスバー交換機が都内におかれ、海底ケーブルを収容。地下の通信を制御するセンターの機械は全て国産。
海底ケーブル
約2700kmの海底ケーブルは新設の大洋海底電線社の工場で作られた。寿命は20年。 41本の鋼線がよられた芯線の外を何重につつんだ直径32mmのケーブル。これ1本で電話128回線分が同時に伝送される。 37kmごとに中継器がつけられ、信号を増幅した。
敷設作業
1964年3月にロングライン号は相模湾を出発し、4-8ノットで敷設をおこないつつ航行
開通:
当時の池田総理とジョンソン大統領の国際電話などの派手なセレモニーが行われた。