Before Cyberspace Falls Down...

"Atoms for peace and atoms for war are Siamese twins” Hannes Alfven

中西寛 『国際政治とはなにか』

国際政治の名著として推薦されているので図書館でかりる。あちこちに至言が並んでいて、それでいて難しくない。

p4

バーナード・ショーが書いた喜劇運命の人の一節 「イギリス人は生まれつき世界の支配者たる不思議な力を持っている。彼はあるものが欲しい時、それを欲しいということを彼自身にさえ言わない。彼はただ辛抱強く待つ。そのうちに、彼のほしいものの持ち主を征服することが彼の道徳的宗教的義務であるという燃えるような確信が、どういうわけか、彼の心に生じてくる。・・・・・・彼は効果的な道徳的態度を見つけ出すのに決して不自由することがない。自由と国民的独立とを振りかざしながら、世界の半分を征服し併合して植民と称する。またマンチェスターの粗悪品のために新しい市場が欲しくなると、まず宣教師を送り出して土人に平和の福音を教えさせる。土人がその宣教師を殺す。彼はキリスト教防衛のために武器を執って立つ。キリスト教のために戦い征服する。そうして天からの報いとして市場を手に入れる。 (中略) 彼は何事でも原則に基づいてやる。戦うときには愛国の原則に基づいている。どろぼうするときには、実業の原則に。他人を奴隷化するときには、帝国主義の原則に。・・・国王を支持するときには王党派の原則に、国王の首を切り落とすときは共和制の原則に基づく。彼の標語は常に義務である。しかしイギリス人は、その義務が自らの利益に反するようなものは敗者だということを決して忘れはしないのである。」

p12-13

朝河貫一いわく

日露戦争後の日本の南満州での行動は諸外国に畏怖と警戒心をつよめた。アメリカは門戸開放・領土保全の2大原則を中国に提唱し、広く指示されている。日本の行為は独善的で、アメリカは偽善的かもしれないが、両者の選択を迫られた時、第三者はよりましなほうとして後者をえらぶだろうというのである。

ショウの喜劇はイギリス人に向けて書かれたもので、観客は苦笑したはずである。反省を促し、偽善を正す必要を再確認させる。そこに自己を客観化する目があり、精神に余裕が生まれる。 「余裕が風刺をうむだけでなく、風刺が余裕を生む面がある」

p22

国際政治は「主権国家体制」「国際共同体」「世界市民主義」の3つの位相が交じり合ったものである

p26

国際政治の大半は、自己の国益を守ることと世界的な公共利益のために行動するという二つの要請の間で、いかに妥協を図るかという点につきるからである。

p88

ホッブズは、自由な個人にとっての最枠の状態は心理的恐怖の無限増殖であると見抜いた。これに対してホッブズの与えた回答は、内面的恐怖を黒花の支配の恐怖に転化することであった。支配の恐怖の下でのみ、内面的恐怖の無限の増殖を抑制しうる。ここにホッブズは自由な近代人が自ら進んで国家の支配を受け入れる根拠を提示したのである。人間の内なる恐怖を外部に放逐し、人々に安全を提供する事こそが、近代国家の存在根拠だとホッブズは定義したのである。」

p94

国家が集合的人格と捉えられるようになればなるほど、人間理性がもたらすホッブズ的恐怖が国家の間にも作用する危険性が高まることになった。」 「国家が将来への不安から安全を追求し、そのことが他国の不安をいっそう駆り立てて相互恐怖の悪循環に陥ることを「安全保障のジレンマ」という。」

p99

集団安全保障がなぜ失敗したか、「集団安全保障はその理念と裏腹に、あらゆる紛争を世界戦争へと転化しかねない体制なのである。」

p103

第一次世界大戦について 「戦争は国民同士の総力戦となり、その帰趨は戦場における軍隊の行動でなく、軍隊を支える銃後によって決するものとなったのである。」

p110

「原爆を持たない国は、自らを本当の意味で独立していると考えることはできない」ド・ゴール元フランス大統領

p114 現代の軍事力について

「主権国家として独立を担保し、国際政治の秩序を維持するために、一定程度の軍事組織を持つことが一般的な選択であろう。重要なのは現代の軍事力は国際秩序の中でその機能を発揮する政治的手段であり、国家を不可侵にしたり、他国を力によって支配したりするものではない点を認識することである。」