記号になる覚悟
鎌倉幕府を開いたのは源頼朝であるが、それは当然ながら頼朝が独力で幕府を打ち立てたわけではない。頼朝と彼を補佐する(おそらくは有能な)人の集団のことを、後の世に生きる我々は略して源頼朝と呼んでいる。つまり、人の名前は個人の人格を離れて、集団を表す記号になることがあるということである。
最近「職人」として生きていたはずの自分が記号にならざるを得ない時がある。期待をうけて身が引き締まるような、おだてられてむず痒いような、この先を考えて責任の重さに胃が重くなるような。
第一に弱い人の痛みに寄り添える人間でありたいと思う。そしてその制限の中で許される限り、周囲の期待に答えられる人でありたいと思う。その順番を間違えないのが記号としての長生きの秘訣ではないかと今は想像している。
@Tallinn,Estonia