Before Cyberspace Falls Down...

"Atoms for peace and atoms for war are Siamese twins” Hannes Alfven

エシェロンとニュージーランド GCSB

オーストラリア政府の友人に勧められ、ニッキー・ハーガーの「シークレット・パワー」という本を読んだ。なおどうでもいいことだが、エシロンではなくエシロンが正しい発音であるとのこと。

概要

著者はニュージーランドのジャーナリスト。綿密な取材によりニュージーランドの情報機関GCSB(Government Communications Security Bureau)の成立経緯から本書発売時の1996年までの主たる活動を紹介し、あわせてUKUSA同盟国(アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)が行った共同諜報活動(エシェロン)を詳細に紐解く。ニュージーランドが日本を含む友好国や差し迫った脅威とはいえないロシアの通信を傍受してきたことについて、筆者はリスクやコストに見合うメリットがないと批判し、合わせてGCSBがときに首相や議会に情報を隠蔽して諜報活動を行ったことを厳しく批判している。筆者はニュージーランドがUKUSA同盟から脱退することをすすめている。
原著は1996年、訳書は2003年に刊行されており、特に技術的な記述は既に時代遅れとなっている可能性が高い。

内容

GCSB本部と傍受基地

2003年にGCSB Actが成立し根拠法が制定される。1996年時点でニュージーランド人常勤職員は200名。うち70人ほどは二箇所の傍受基地に配属されている。1992年に作戦担当部門の体制を一新し、その当時の組織図は以下の通り。

f:id:cyberconflict:20131111155400p:plain 第7章 GCSBの内部組織 p.189 より

X部

防諜が主業務で、盗聴から政府施設を守り、端末のセキュリティを確保し、電磁波漏洩対策をし、適切な暗号化を施すのが目的である。

K部

KP課 PはPacificの意。南太平洋地域の軍・経済諜報を扱う。 KE課 EはEconomyを意味する。 日本の外交通信、ロシアと日本の漁業活動についての諜報活動を行う。対日諜報活動はそれまでのK3班の任務をKE課がまるごと引き継いだ。 KH課 暗号解読がミッションだが96年時点で職員5名と活動量は相対的に小さい。

C部

ワイホパイとタンギモアナの基地システムの準備部隊。 CS課 衛生通信傍受施設の担当 CT課 地上無線通信傍受施設の担当

L部

顧客支援、つまりは関連省庁への配布やリエゾン機能を持つ。

K部の分析官はUKUSA同盟の他国情報機関と密接な繋がりをもっていた。1988年以前はオーストラリア防衛通信司令部へ、それ以降はカナダ情報通信保安局へ出向者がおおかった。その他の部局もNSAやGCHQなどからの教育支援、機材提供などを定期的にうけている。

タンギモアナ傍受基地

1982年に開設された。認識番号:NZC-332。正式名称はタンギモアナ国防通信部。オハケア空軍基地にも同盟の組織があり、まぎらわしい。 短波(HF)通信の傍受を主目的とする。具体的には近隣海域を航行するロシアの船舶無線など。方向探知アンテナとHFDF(短波方向検知)システムを備える。

ワイホパイ傍受基地

コードネーム:Flintlock 認識番号:NZC-333 現在はブレニム国防衛星通信部隊としてしられる。89年9月8日より正式稼働。東経174度上空をとぶ静止衛星インテルサット701号機からのダウンリンクを傍受する。

艦載傍受基地

上記の基地以外に海軍の軍艦にも常設に近い傍受施設があると考えられている。86年から海軍フリゲート艦はたびたびGCSB職員やオーストラリア海軍の信号諜報部員をのせて南太平洋を巡回していた。87年9月25日のフィジーのクーデター時もスバ付近に停泊し、主に軍や政府が用いるVHF帯の無線を傍受していたと考えられる。主力艦であるカンタベリー号とウェリントン号にNZC-334とNZC-335という認識番号をつけた内部文書があることから、日常的な活動の一環であったと推察される。

この他にジェラルトン傍受基地(オーストラリア)が緊密に太平洋地域のオペレーションに関連していたことがわかっている。 正式名称はオーストラリア国防衛星通信局(ADSCS)。1993年に運用開始。インテルサット703号機からのダウンリンクを傍受する。(他にインド洋上東経60度および63度の赤道上空の2機のインテルサット、さらに東経91.5度の新インテルサットも標的にしている可能性が高い。)

エシェロン

ニュージーランドにおいてエシェロン参加はなし崩し的になされた。議会や政府での公式な議論はない。ニュージーランドにおいては国防長官だったデニス・マクリーン氏と首相府長官と内外保安事務局(OCDESC,Officials Committee for Domestic and External Security Co-ordination)の諜報政策調整官をつとめたジェラルド・ヘンズリー氏の二人の元外交官が積極的に動いた。ロンギ首相は詳細を知らされることがなかった。 技術面ではNSAやGCHQからの様々な形の協力があった。特にアメリカはGCSBの政策計画担当部長(1984-1987)としてNSAのグレン・シングルトン氏を派遣するなど、積極的にGCSBのUKUSA秘密協定への取り込みをはかったと推察される。

  • UKUSA同盟における合意文書は公開されていないため、本同盟の内実を正確に把握することは困難
  • 各国諜報機関が使う機密度のラベルはSPOKE,MORAY,UMBRAなど5文字で統一されている。
  • GCSBにはNSAから日々大量の情報が送られてきており、その対価としてニュージーランド国土上の基地を運用し、そこで収集したRaw dataをNSAに共有した。
  • NSAからはまれにDRUID指定の情報共有もあった。(ソースがUKUSA協定に協力する第三当事国、日本、ドイツ、デンマークノルウェー、韓国などのものをDRUID指定する)
  • ニュージーランド内部でエシェロンから得られる情報として評判がよかったのは世界中のテロリストの動向をまとめた報告書

対日諜報活動

GCSBの活動を調べるうちに、筆者はUKUSA諸国が日本の外交通信を一つの大きな目標に据えていたことを発見する。それはUKUSA諸国の全ての情報機関が対日SIGINT専門の組織をもっていたことからわかる。

JADインテリジェンスと呼ばれるそれらの情報はニュージーランドにおいてはGCSBのKE課で解析される。GCSBが分析の対象としていたのは、VISAの発行やイベントの案内などの外交日常業務に因る公電、あるいは在外公館から東京への定期報告である。 NSAが開発した公電暗号解読システムがGCSBに提供されており、GCSBはこれを利用して解読を行い、結果をUKUSA諸国に共有した。

日本の外交公電はさほどの機密情報ではない、ただ日本の外交官がたまにより慎重に扱うべき情報を強度の弱い暗号でおくることがあるという。GCSB内では「80年代のはじめに、日本の外交官が、貿易産品の価格交渉で提示できる買い入れ上限値を日常連絡用のチャネルで送り、瞬く間にUKUSA諸国で共有され、ニュージーランドは大儲けした。」という逸話が伝わっているという。(ウルグアイ・ラウンドのことか?)

GCSBおよびエシェロンへの批判

傍受情報の有用性

1987年5月のフィジーのスバでのクーデター発生時にはGCSBは総力をあげて通信傍受をおこなった。しかしクーデター首謀者のランブカ大佐はニュージーランド軍での訓練経験もあり、防諜にも配慮していた。結局在フィジーミッションや軍部の人づての情報の方がよほど役に立った。グリーンピースの「虹の戦士」号爆破事件のときもGCSBは事前にそれを察知することはできなかった。

筆者は「情報源をむやみに増やしても、最終的な政府の判断を変えてしまう力にはならないのである。」と言っている。

諜報活動の透明性確保

その活動の性格上、これは大変むずかしい。警察の活動はすべて法律によって明確にしばられているが、同様の法律は当時のニュージーランドにはなかった。 現実的には首相あるいはごく一部の治安担当閣僚だけに、その活動の成果を報告することになるが、諜報機関のトップから報告をうけた首相は、そこで「他の閣僚にもお伝えしますか?」と尋ねられるとたいてい「いまはまだ私ひとりで検討したいから・・・」と答える。秘密のひとりじめを好むのは労働党にも国民党にもいたという。

外国産のインテリジェンス情報はバイアスがかかっている

自分たちが手に入れた諜報成果を他所の国に提供する、という行為には当然思惑が込められている。国際情報同盟が機能するにはいくつかの政治的な前提を必要とする。

  • メンバー国はいずれも全く同じ興味と関心を抱いている
  • メンバー国が友邦、敵性国とみなしているのはいずれも同じ相手である
  • メンバー国は同じ世界観を持ち、外交政策や防衛政策の目標も全く同一

現実にこの前提が成立する条件はありえず、したがって国際連携は機能しない。

以上の前提から最終的に筆者は、ニュージーランドは勇気を持ってUKUSAを離れるべきだと主張する。そしてGCSBはUKUSA同盟の歯車からニュージーランド国民の奉仕機関になるべきだという。小国が大国の利害に真っ対挑戦するという構図になり、難しい決断であるのはもとより覚悟である。

感想

PRISMやらスノーデンやらが日々紙面をにぎわす昨今、あらためて米国の過去の諜報活動の能力を見なおしていみるという営みが必要ではないかと思い、本棚から取り出して読んでみた。 ニュージーランドは小さな島国であり、筆者の言葉を借りればNSAから分析された情報をもらう代わりに、観測情報を貢いでいた。そこにあるのは大国vs小国の図式で対等な関係はなかったという。日本がたとえば米国の情報機関との共同オペレーションを行う可能性があるならば先人であるニュージーランドの事例から学ぶものは多いはずだ。

なおニュージーランド国内で問題となり、2013年8月に議会の承認を得たGCSB Billについては以下がくわしい。 1. GCSB Bill becomes law - Story - Politics - 3 News 2. Transcript of Nicky Hager from GCSB Town Hall Public Meeting « The Daily Blog

GCSBと諜報活動は古くて新しい問題なのだ。

装丁、出版社が怪しすぎて電車の中で読んだら「同志よ!ともに権力の横暴と闘おう!」と勧誘にあいそうである。

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